メッセが“でくの坊”と呼ばれてた頃〜その助っ人はかつて補欠だった1〜

メッセ、棚を殴って骨折

Wikipediaでも見てくれれば誰でも賛成してくれると思うが、MLBでメッセンジャーが最も輝いていたシーズンは2007年。メッセは5月までマーリンズでプレーし、途中からサンフランシスコ・ジャイアンツのリリーフの一角を担うことになった。その年、メッセは制球難を克服していた。四球率は2.9、防御率だって8月まで2点台だった。
ただ、もう一方のMessぶりは健在だった。それはブレーブスの顔、チッパー・ジョーンズにサヨナラタイムリーを打たれたあとだった。悲嘆にくれるメッセは感情のやり場に困ったのか、モノに怒りをぶつけた。バットが差し込んであるラックを思いきり殴った。彼の右手は骨折した。
私は2007年のメッセの防御率は8月まで2点台だったと書いたが、実はそのサヨナラ打を打たれた日が8月の最後の登板だったのだ。1ヶ月後、ケガから復帰したメッセはいままでのような活躍ができなかった。9月の防御率は、なんと19.50。その後2年間、メッセンジャーはパッとしないアメリカ生活を送ることになる。
確かにこのエピソードは少々荒っぽいのかもしれないが、メッセを少しでも知っている日本人なら、その怒りが彼の責任感の強さの裏返しだということを思いあたるのではないだろうか。メッセはそういう男だった。

そして、日本へ

サンフランシスコ・ジャイアンツを去ったあと、メッセンジャーはシアトル・マリナーズへ移籍した。シアトルでの2年間は確かに成績としてはパッとしなかったが、彼に野球人生にとって大きなきっかけとなった。そう、メッセンジャーはそこでイチローと城島健司に出会い、日本でプレーしたいという気持ちを募らせていくのだ…。日本に来てからの活躍はみなさんが知っている通り。まあ、少しだけMessなところはあったけど(2014年に最多四球)。

P.S.
数年前、あるインタビューでメッセが自分の引退後についてこう語っていた。
「次の仕事につくとしたら、父親業」
彼は4人の子供を持つ父親だ。現役中はなかなか果たせなかったもう一つの仕事に今度は全うするのだろう。
いいと思う。野球のキャリア以上に活躍するんじゃないかな。だって、日本のみんなはきっと知ってると思うけど、メッセンジャーは少々荒っぽいところがあっても、それを許して余りあるほどに大きな心を持っているから。

動画…メッセンジャー引退会見

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