メッセが“でくの坊”と呼ばれてた頃〜その助っ人はかつて補欠だった1〜

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9月13日、仕事から家に帰るとある情報が入ってきた。「メッセンジャー引退」それはツイッターのトレンドに載っていた。「まさか、冗談だろ」こういったとき、私はまだ昔風の人間であるためか、より確度の高い情報を求めてスポーツ新聞のウェブ版を開く。でも、第一報を報じたらしいデイリースポーツや東京スポーツは、その時点で記事を削除していた。残っていたのはデイリー・ウェブ版の右端にあったリアルタイムランキングの見出し「メッセンジャーが引退 本人から申し出」のみ。でも、それは明らかに阪神とズブズブの関係にあるスポーツ紙が引退を報じたことを意味していた。「勘弁してくれよ」と私。ただでさえ、鳥谷への引退勧告なんかで心がすさんでいるところなのに。
翌日、報道各社がメッセンジャーの引退を次々と報じた。

メッセンジャーが“でくの坊”と呼ばれてた頃

メッセンジャーが日本に来たのは、2010年の冬だった。来日時の会見で「話せる日本語は?」と尋ねられたメッセはこう答えている。
「日本語?アリガトウくらいかな」
いまやそこら辺の日本人より(まあ、流石にそれは大げさか)日本語をうまく操るメッセにもこんな時があったのかと不思議に感じる。そして来日する助っ人外国人の常套句として忘れずに「勝利に貢献できるよう頑張ります」とも語った、まさかこんなにも長く貢献するなんてこのときは本人さえ思ってもみなかったことだろうけど。
さて、時計の針をもう少し過去に戻そう。メッセンジャーがプロ入りしたのは1999年、フロリダ・マーリンズから11巡指名。そしてメジャーデビューは2005年だった。
当時のメッセンジャーのニックネームに“Big Mess”というのがあった。日本語では訳しづらいところだが、さしあたり「でくの坊」みたいな感じなのではないかと思う。つまり、彼は大きくて(Big)、そのうえ、ちょっと荒れていた (Mess)らしい。例えば、メッセンジャーが同僚と野球とは関係ないところで喧嘩し、その同僚の目に青あざができたとか。
まあ、これは単なる喧嘩だったし、いまでは笑い話なのだが、問題は野球でもメッセンジャーがMessだったことだ。つまり、コントロールがめちゃくちゃだったのだ。
デビュー・イヤーの2005年、メッセの四球率は7.3だった。それは9回を投げて7.3個のフォアボールを出すことを意味しているが、当時リリーフだったことを考えると、1イニングに2回フォアボールを出していた計算になる。まったく、笑っちゃうくらいひどいね。

続き…メッセ、棚を殴って骨折

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