タイラー・スキャッグス〜大谷の同僚ではなく、素晴らしき野球人として〜MLB 「この人を見よ」(8)

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しょうがないのかもしれないが、日本のマスメディアがMLBを扱うとき、大抵は日本人選手のフィルターを通して報じられる。ドジャースの一時代を築いたトミー・ラソーダは「野茂英雄の恩師」であり、4度オールスターに選ばれたティム・ハドソンは「イチローの天敵」で、デレク・ジーターは「松井秀喜の友人」である。そして、そのフィルターはある一人の野球選手の死に際しても覆われることになる。タイラー・スキャッグス。「大谷翔平の同僚」として扱われる彼を私は知りたくなった。

スキャッグスのキャリア

スキャッグスのキャリアは、母親の影響から始まった。彼の母は高校のソフトボールチームでコーチをやっていて、幼いころのスキャッグスはよく母の手伝いをしていたらしい。「彼はお母さんにとても協力的だったわ」ソフトボールチームの選手だった女性がそう言った。言ってみればスキャッグスにとって母親は最初の投手コーチであり、母親は息子に「上手くなるコツ」を伝えた。「父親じゃなくて、母親が将来の大リーガーに影響を与えるって、そうあることじゃないわ」これも前述の元ソフトボール選手の話である。
そんな“お母さんっ子”であるタイラー・スキャッグスの選手生活は、順風満帆ではなかった。09年、ドラフト1巡目(全体40位)でエンジェルスから指名されると、翌年にはDバックスへとトレードされた。12年にメジャーデビューを果たすと13年オフにエンジェルスへ復帰。しかし、14年、古巣に戻ってわずか10試合を投げたところで、彼はトミー・ジョン手術を受けることになる。しかし、スキャッグスはそんな中でも彼らしく全ての人にフレンドリーに振舞ったらしい。今思うと、その強さが彼を追い込んでいたように思えなくもないのだが。まあ、でもそれは私のくだらない邪推にすぎない。

スキャッグス、たぶんみんな友達


実は、スキャッグスがDバックスにトレードされたとき、彼と一緒にトレードされた選手のなかにパトリック・コービンがいた。コービンはスキャッグスと同年にエンジェルスから2位指名され、しかも同じサウスポーだ。ともに“放出”された二人の友情は厚く、コービンはスキャッグスが亡くなった後の試合でスキャッグスの背番号「45」を付けて登板した。その試合でコービンは7回1失点、7奪三振。試合後、コービンは言った。「何かを失ったとき、普段通りにいようと心がけると思うけど、僕にとって野球をすることがベストだったんだ」そしてスキャッグスとの友情について問われると、コービンは涙で詰まりながらこう言った。「タイラーはオフシーズンに僕の結婚式に来てくれた」そして、タイラー・スキャッグスもまた、昨年のオフに結婚したばかりだった。
タイラー・スキャッグスの葬儀は彼の地元であるカリフォルニア州サンタモニカで行われた。しめやかでありながら、スキャッグスの葬儀らしく笑いがあり美しい催しだったという。スキャッグスの妻であるカーリは、ときおり声を詰まらせつつ互いがどれだけ愛し合っていたかを語った。彼女は言う。「あなたを愛したことを幸せに思う」と。そして、続けてこうも言っていた。「あなたは私の愛しの人であり、親友です」そう、スキャッグスにとっては誰でも親友なのだ。
思えば、スキャッグスが亡くなったあとの試合後、チームメイトであり、同い年で同じ先発の柱でもあったアンドリュー・ヒーニーはこう言っていた。「タイラーは、間違いなく親友だよ。たぶん他に100人はタイラーの親友がいるんじゃないかな。だってタイラーがそうやって接するから」
スキャッグスの温かく寛大なフィルターを通ってしてみれば、おそらく大谷翔平も「タイラー・スキャッグスの親友」の一人だったんじゃないかなと思う。

動画…追悼試合でノーヒッター

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