親と一緒にLet’s Go Mets!

親と一緒にNYへ

先日、父と母と一緒にニューヨークに行った。最初の記事でこんなことを書くのは少し変に思うかもしれないが、とにかくニューヨークに行った。

最初、私は二人についていくつもりはなかった。でも二人だけでは不安だということで(なんせ母にとってはこれが最初の海外だったのだ)、カナダに半年ほど留学していたことがある私も一緒に行くことになった。「旅費はこっちで持つからさ」と父。ニューヨークから帰ってきたときに思ったのは、旅費だけでは割に合わない「子守り」ならぬ「親守り」だったということである。
ニューヨーク観光の目的は第一にテニスの全米オープンを見ることだった。私の家はどちらかといえば、野球ではなくテニス一家だったのだ。私が幼い頃からリビングのテレビにはテニスが映っていて、油を塗ったように照りついているアンドレ・アガシやスモモのように日焼けしたレイトン・ヒューイット、思春期の男子にはいささか刺激的だったマリア・シャラポワなんかを見て私は育った。「ねえ、テレビ、野球に替えていい?」実家において少数派だった幼い私はよく恐る恐る両親に申し出たものだった。「このインタビュー終わったらね」母はテニスの素晴らしさは試合後のインタビューに表れていると思っているような古典的な人間だった、英語なんてわかりもしないのに。
とにかく旅行のメインはテニス観戦だった。しかし、ロクにチャンネルの主導権も握れなかった私も、いまや少しだけ家庭内で影響力を持つことができるようになったのかもしれない。5泊7日のニューヨーク旅行にメッツ戦を押し込むことができるくらいには。もちろん、3人分のチケット代はこっち持ちだったわけだが。

NYを歩く、かなり

情けない両親を、どんな事情であれ目撃するというのは子どもにとって快いものではない。はっきり言ってニューヨークの父と母は無力だった。父は外国人に話しかけられるたびに私の顔をうかがったし、母は自分から海外に行きたいと言ったにもかかわらずニューヨークの全てを恐れていた。あれは確かニューヨークに着いた日の翌朝だったと思う、私たちが56番ストリートにあるホテルからメトロポリタン美術館まで歩いたのは。実のところ父はこれまでに仕事でニューヨークに3回来ていた。父親は威厳を示そうと思ったのか(それに着いて間も無くだったので体力も気力もあったのだ)、あたかもニューヨークを知り尽くしているかのように振る舞った。「ホテルからなら余裕で歩いて行けるよ」と父。でも父よりもニューヨークを知っている人間ならわかると思うが、56番ストリートからMETまで歩いて行く人間なんて誰もいない。なんせ2キロ以上離れているのだ。私たちはアッパー・イーストサイドを北上し続けたわけだが、インド領事館あたりで雲行きは怪しくなった。「誰かに聞いてみるのはどう」私は提案したが、父は大丈夫と言い張った。「せめてセントラルパークを歩こうよ」私のこのささやかなワガママは母が突っぱねた。「そんなとこ危ないわよ」

実にニューヨークにいる間、ずっとこんな感じだったのだ。

Baseball drives me Nuts!!

さて、8月のニューヨーク・メッツは勢いがあった。常にミラクルを信じてやまないメッツファンでさえ、オールスター前は今季のポストシーズンを諦めていたところだったが、オールスター後の1ヶ月は21勝7敗。私たちがNYにいたころは少し勢いが落ち着いていたが、それでも球場には熱気があった。対戦相手はNL東地区1位のブレーブス。チケットを買った段階では、まさかメッツがプレーオフ争いをするとは思っていなかったので、このカードを見れたのは幸運だった。試合は2回にブレーブスが先制。続く3回にも2本のソロHRを許した。私たちの後ろの席に座る太った黒人親子はあたかも昔から知っている近所の悪ガキを叱責するように先発のザック・ウィーラーを野次る。「What’s up, Zack!!」
しかしメッツの反撃は、すぐに始まった。3回にジョー・パニックの内野ゴロの間に1点を返すと、叱責に応えるかのようにウィーラーも粘りのピッチング。そして5回の裏、またも1点を返すとランナー2、3塁の場面でピート・アロンソに打順が回ってきた。アロンソは新人にしてチームの主砲だった。ホームランが出れば一発逆転の場面。「ピィーーート・アロンソ!ピィーーート・アロンソ!ピィーーート・アロンソ!」球場のムードは絶頂に達していた。まさか。私は思ったが、ミラクルに慣れているメッツファンのなかには、それが起こりうることを知っていた人間もいたかもしれない。アロンソが放った打球は一直線にシティ・フィールド名物「ビッグ・アップル」の横に飛び込んでいった。その瞬間、球場に割れんばかりの歓声とともに「レッツ・ゴー・メッツ」のコールが鳴り響いた。私はちらっと隣にいる両親を見た。父と、なんと母までも周りの観客たちとハイタッチをしていた。「Baseball drives me Nuts!!(野球は私を狂わせる)」このときばかりは両親の方がNutsだったが(だっていままでの意地や恐怖心はそのときどっかに行っていたから)、これがこのサイトの由来である。

そのブレーブス戦を私たちは最後まで見ることはなかった。もちろん母が言った「夜遅くにニューヨークの地下鉄に乗るのは怖い」のためである。それに結局メッツは敗れてしまったらしい。
NYでの何日目かに寄ったステーキハウスで店員が私に「今季のメッツはポストシーズンに行けると思うか」と尋ねてきた。私がお土産に買ったメッツの野球帽を被っていたためである。「行けるんじゃない」と私はぎこちない英語で答えた。「どうだろうね」と店員。「悪くないよ。でも難しいだろうね」でも、そんなこと言って大抵のメッツファンは本当に可能性が尽きるまで(あるいは尽きても念のため)ミラクルを信じてやまないことを私は知っている。

P.S.
ニューアーク空港から成田に着いたとき、ふと私は来年で父親が60歳になることを思い出した。そう、還暦である。それは、つまり父が誰かの頼りになるよりか、もう一度誰かを頼りにする年代になりつつあるということを意味していた。なるほど、私が親から頼られる立場なのか。まあ、還暦祝いに海外旅行をプレゼントすることはないだろうけど。

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